僕とパソコンが出合った日
どうも!
Kunyです。
沖縄は31〜32℃。風も気持ちよくてちょうどいい夏って感じです。
西日本、関東地方は38℃もの猛暑が続いてますね。
まさか「沖縄が避暑地」状態になるとは・・・
最近の自分は、ビジネスを新しく始めたり
新しい会社を登記したりと、あわただしくも元気にやっています。
わき目もふらずイケイケドンドン!・・・
という訳ではないけれど、
自分の「直感」や「直観」に身を任せ、波に乗るように
やってきた流れ(波)にスーッと乗っていたら、
前は乗れなかった高い波に気づいていたら乗っている。
その動きに合わせて周りもうまく回り出している。
そんな感じです。
まだまだ精進の身なんですが。
ふと、先に進んでいるこんな時だからこそ、
自分の原点を振り返ってみたいなぁと思いました。
というわけで、今日は昔の話をします。
今や仕事の相棒、なくてはならないパソコン。
僕が初めてパソコンと出合ったのは、小学生の時でした。
前にブログで書いたように、僕の両親は東京でコンビニエンスストアを経営しています。
両親の城であり、仕事場。
セブンイレブン・いい気分♪(キャッチコピー変わったね!)
僕が小学生だった頃に、うちの親父がコンビニを始めました。
コンビニでは日々たくさんの商品を仕入れるので、常にダンボールのゴミが大量に出ていました。
今はゴミが出ないようにプラスチックの運搬ケースになっているみたいですが、当時はダンボール。
なので結構なダンボールのゴミが出ていたんです。
ある日、廃棄ダンボールの山に目をつけたらしいチリ紙交換バイトの若い男の人が、店にやってきて
「よかったら、そのダンボール譲ってくれませんか?」
と、うちの親父に言いました。
大量に出るダンボールは店にとってはゴミだし、親父はかまわないよ!と快く了解したようです。
青年が時々やってきてはダンボールを受け取っていく光景を、僕は学校帰りに見ていました。
廃棄ダンボールを何度か渡すうちに、親父とその青年は気が合ったようです。
というか、親父には彼がとても好印象だったらしく、その若者のことを何かと気にかけていました。
その人の名前は坂本さんといって、東京大学に通う現役の大学生。
当時の僕は11歳くらいだったかな。
いつだったか、坂本さんは親父に
「スポンサーになってくれないでしょうか?」
と、出資の話を持ちかけました。
彼は大学に通いながら、仲間と一緒にコンピューターの会社を立ちあげたいという夢を持っていて、うちの親父にそのことを打ち明けたんですね。
坂本さんの人柄そのものが好きだった親父は、出資を決めました。
親父はお人好しで、そしてスジの通った男です。話は長いけどね。
僕の話が長くなるのは大高家の血ですね。しかたない。
会社を立ち上げる準備に明け暮れていた坂本さんが、ある日、親父の長男(僕)にデカイ箱を持ってきました。
忘れもしない、PC-6001。
これです。
WAO! クラシック!
え、これがパソコン?という見た目ですよね。
そのころの最新機種だったんです。
販売されたのが確か1981年で、これをもらったのが1982年だったかな。
実は、僕の家庭はあまり物を買い与えてもらえるような環境ではありませんでした。
オモチャもあんまり、というかほとんど買ってもらえなかった。
だから坂本さんからの思いがけないプレゼントに、小学生だった僕と弟は大興奮!
ゲーム機がほしいと親に訴えても絶対に買ってもらえなかったのに、それに似た、
というかもっとワクワクするものがウチにきたーーー!!
ゲームに飢えていた僕たちにとって格好のオモチャです。
いや、それはオモチャなんてもんじゃありません。
スッゲェかっこいいんです。
それが僕とパソコンの、初めての出合いでした。
こんにちは。
このようなパソコンって初めて見ました!
私は大学生の時にワープロを覚えるのから逃げたんで
パソコンはずっとコワイ存在でした♪
お父様素敵な方ですね~。
ブログ更新楽しみにしております (^_^)
新垣さん、コメントありがとうございます。
素直に嬉しいです(笑)。
父親からの刷り込み、
有難いことに?(残念ながら?)たくさんあるので(笑)、
そんなのも発信していきますね。
応援していただけると嬉しいです。