「頑張らなくていいよ問題」に答えを無理に出さない

前回のブログの続きです。

 

「頑張るから良い。頑張らないから悪い」では、きっとない

 

今の僕が感じているのは、

 

「頑張るのが良くて、頑張らないのが良くない」

 

という二元論ではないんじゃないかな、ということです。

 

どっちがいい、悪い、じゃない。

 

ぶっちゃけると・・・

 

好きな方を選んだらいいんじゃない?

 

って感じです。

 

 

頑張るのも、頑張らないのも、その人の「選択」だから。

 

例えば、

すでに目いっぱい頑張ってて、うまくいかないんだったら、

「頑張る」をやめてみる、ゆるめてみる。

 

逆に、頑張らないことで、うまくいっていない人は

「頑張る」にシフトしてみる。

 

 

かつて苦しかった頃の僕はめちゃくちゃ頑張ってきた方でした。

(と自分でいうのもなんだけど)

人に頼るという選択肢を自ら切り捨てて、

一人で全部抱え込んで、肩ひじ張って頑張ってきたわけです。

 

それで、行き詰まってしまった時に

「オバーの教え」に触れて、

”頑張らない” にシフトしたことで、

人生が上手くいきはじめました。

 

 

余談ですが、あるビジネス仲間は、

 

「人間が生きている(心臓や臓器をフルに使って生命活動している現実)だけで、すでに私たちは「頑張っている」んじゃないでしょうか」

 

と言っていました。

続けて、

 

「私たちは、生きて生活しているだけですでに頑張っている。

その前提に立った上で、さらに頑張るのか、頑張らないのか、その都度「選択」できることが健全な「頑張る」との付き合いかたのような気がする。

 

”頑張らないとダメだ”、じゃなくて、“人間、生きてるだけで頑張ってる!”という肯定がベースにないと、しんどいと思う。

 

頑張ってない自分はダメだ、と

「頑張っているか否か」で自分を評価しがちな人が

自分を責めて、心を病んでしまうような気がする」

 

と、言っていました。

 

 

頑張るのが苦しいなら、

頑張るのをやめてみる。

 

頑張らないのが苦しいなら、

頑張るをやってみる。

 

 

頑張るも、頑張らないも、

自分たちが「選択」しています。

 

 

頑張らないで上手くいっている人は

そのまま、頑張らなくたっていいわけです。

 

だって、頑張らない状態ですでに上手くいっているなら

頑張らないといけない理由はないですよね。

 

頑張らなくていいよ。

も、

頑張ったらいいよ。

も、どちらも基本は本人の自由なのかな、と思います。

 

相手の受け取り方、コンディションにもよりますよね。

 

 

今、自殺者は年間約3万人前後と言われています。

では、「自殺未遂者」がどれくらいいるか、知っていますか?

 

年間53万人と推定されるそうです。

 

自殺を選んでしまう原因は様々なので

僕がここで何かを断定することはしません。

 

頑張る、頑張らない、の次元ではない理由がその実態に

潜んでいる場合もあるでしょう。

 

ただ、自殺を選んでしまう要因に

「頑張り続けることに疲れてしまった」ことが

あるのだとしたら、

昨今の「頑張らなくていいよ」という時代の流れは

一人で重荷を抱えて頑張る底なし沼のような闇を

照らしているのかもしれない気がします。

 

でも、ここまで伝えてきて今、僕が思うのは

わかりやすく考えをここでまとめる必要はないのかな、と。

 

考える余地とか、

誰かとのディスカッションの余地を残してみるのもいいと思っています。

 

そこから生まれる新しい気づきや発見が、きっとあるはず。

 

これも、僕が撒いた「タネ」の一つなのかもしれません。

発芽するかどうかも、どんなタネかもわからないタネ。

わかりやすい結論のない「うにうに」状態の思考のタネを、誰かに蒔いて、それからどう展開していくかを見守るのも、それはそれで意味のあることじゃないかな、と思います。

 

みなさんは、どう思いますか?

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