お茶より大切なものはない 2
こんにちは。Kunyです。
前回の「お茶より大切なものはない 1」の続きです。
オバーが僕に言った
「お茶より大切なものはないよ〜」
という言葉。
僕のメンターが僕に投げかけた
「『一服のお茶も飲めないようなあなたの仕事って、どれほどのもんなの?』ってことだよ」
という言葉。
それらが僕のなかで消化不良のまま、それを気にするヒマもなく相変わらず仕事をバリバリやっていた。徹夜での仕事も時々あったが、求められているなー、充実しているなー、くらいにしか思っていなかった。
「充実」の意味を完全にはき違えてたんだ!と今ならわかる。
ところで、ITサポートの流れは大きく分けると二つある。現地でそのまま対応が可能なパターンと、いったん仕事場に持ち帰って対応するパターン。
理想的なのは、その場でサポートを完了させること。即日でお客さんの困りごとを解決すること。
でももちろん、毎回順調にサポートが進むとは限らない。持ち帰っての対応が必要になるときの理由のほとんどは、現場に持参した道具では対応しきれない場合や、対応に時間がかかるもの。後者のケースで持ち帰るコンピュータのことを僕は「入院患者」と読んでいた。
入院患者は、お客さんにとって仕事の大事な相棒だ。コンピュータなしでは仕事がとどこおってしまう場合も多い。少なくとも僕はそうだ。
僕は受け入れた「入院患者」たちを次々と対応しては、翌日の朝イチには退院できるようにとスピード感をもってできるだけ誠実に対応していた。仕事がたて込む時は、徹夜で数台を対応することもザラだった。
それが、社員を雇い始めた頃からジレンマを感じるようになってきた。
ウチナンチュ(沖縄人)の社員は、持ち帰りの入院患者をそのままに一日なーーーんにも手をつけないこともあった。
社員が持ち帰ってきた仕事に「徹夜で直して朝イチで届けてくれ」なんて言えない。
早く直して返してあげたらいいのに・・・
コンピュータがなかったらお客さんが仕事にならないから、徹夜してでも修理してサッサと届けろよ!
それがあるべきスタイルだろう?
でもそれが言えない・・・
僕の仕事のスピード感と、沖縄の速度のズレっぷりにモヤモヤが募っていった。
社員に対するモヤモヤを抱えていたある日。
誰だったかな、こんなことを言われた。
「ナイチャーがナイチャーのようにやっても、ウチナンチュはついてこないよ」
(東京もんが東京のやり方でやっても、沖縄の人はついてこないよ。)
そして思い出す、あのオバーの言葉。
「お茶より大切なものはないよ」
僕のなかにふと、ある仮説が浮かんだ。
それを実証してみたくて、実験をしてみることにした。
「ウチナンチュのやり方」を取り入れてみたのだ。
預かってきた入院患者を、預かりっぱなし。あえて翌日に退院させなかった。
数日なんの音沙汰もないまま、預かっていたらお客さんはどう反応するのだろう?
ちょっと心臓に悪い実験だった。
いつ連絡があっても返せるようにと、預かったコンピュータはさっさと直して(こういうところが僕の生真面目というか、小心者というか、チャーミングなところ(笑)。それはさておき)お客さんには連絡を取らず、翌日一日置いたままにしておいた。
その日、お客さんからの連絡はなかった。
実験を続行。三日が過ぎ、四日が過ぎ、そして一週間。
預かりっぱなし。
でも、クレームは来ない。
それではと、別の入院患者でも試してみた。
直した後も連絡せず数日置いたまま。
クレームが来ない。
一週間後、おそるおそるコンピュータをお客さんの元に返しに行くと
「大高さん、ありがとうねぇ!」
僕は拍子抜けした。
仕事は、早い方がいい。
ずっとそう思っていた。
正確には、「そうしないといけないと思い込んでいた」んだ。
東京で仕事をしていた頃は、そうせざるを得なかった。
修理に三日、四日かかりますと行ったら、「じゃ、他で頼みます」と言われるから。
スピード感こそが仕事の質を決める、とすら思っていた。
スピード感を失うこと、イコール仕事の質を損なう感覚があった。
でも、待てよ。
仕事の質、って一体なんだ?
俺の仕事の質と、俺の人生の質。
俺は何かカンチガイしているんじゃないか?
家族との時間を犠牲にして・・・
替えのきかない自分の体をおろそかにして・・・
夜なべして・・・
何より、俺自身をまるっと無視してこなす仕事が、なんぼのもんなんだ?
あのときのメンターの言葉が浮かんだ。
「一服のお茶も楽しめないようなあなたの仕事って、どれほどのものなの?」
沖縄では、いそいそとせわしない様子を
「サーサーする」という。
いそいそと心を亡くして落ち着きがない。
焦って、心がここにいない。
心理学でいうところの「呼吸が浅い状態」だ。
なんで沖縄の人はゆっくりゆったりしているんだろう?
仕事の早さより、お茶を一杯飲んで一息つく時間を大事にしているんだろう?
「人間らしくあること」を大切にしているからだ。
東京からやってきて、沖縄になじめない理由がやっと、腑に落ちた。
人間らしい生活を忘れて生きてきた東京でのやり方を、沖縄にそのまま持ち込んでいたからだ。
急ぐ必要はない。それは、何もしないでいいからラクしましょう、という意味でもない。ただシンプルに、「人間らしい生活を大切にしよう」ということだった。人間はコンピュータじゃないんだから。
徹夜で頭を熱くクラクラさせてでも急いで仕事をやることに価値がある、とこだわっていた自分はちっこい世界に住んでいた。
「スピード感を重視する」ということは裏を返せば、「スピード感とは別のところに重きを置いて生きている人たちを否定する」ことでもある。そうやって知らず知らず他者のやり方を拒絶していた僕の世界のドアを、オバーが優しくノックして僕を広い世界に連れ出した。冷たいさんぴん茶が、今頃になって僕の頭をゆっくり冷ましてくれた。
やることはやる。
余裕をもって、たまにお茶の一杯でも飲んで
ゆるやかに「ちゃんと仕事をする」ということ。
「人間らしい生き方」を選ぶということ。
ああああ、そうか。そうか。そうか。
お茶の一杯を飲む時間を惜しんであくせく仕事している自分が急にアホらしくなった。
それってぜんぜん豊かじゃないな。
幸せじゃないな。
今では、腹の底から
「お茶も楽しんで飲めない仕事って、なんなのよ?」と思う。
あれから10年以上経った今の生活でいうと
「カミさんとランチデートすらできない毎日って、なんなの?」
「大好きな海のそばで暮らしたくて沖縄に来たのに、行きたいときに海に行けない人生ってなんなの?」
そういうふうに、今の僕は思っている。
それからというもの、すっかりウチナンチュな僕がいます。
オバーの教えは、人間らしさの本質をついている。
それを忘れないようにと、ブログタイトルにしたってわけさ〜。
ここまで読んでくれてありがとうね。
まあ、一息いれてユンタクしてってよ。
改めて読むとやっぱりこの話はいいですね!
ありがとう!
沖縄の身近な人たちにはお話ししたこともあるけど、これから出会う人たちにも「お茶より大切なモノはない!」という価値観、あり方、豊かさ、幸せ感をぜひ知ってもらいたくって。
沖縄から教えてもらったこと、まだまだあるので、順次アップしていきたいと思います。