僕が沖縄に来た理由⑨ 〜 ウチナンチュが粋だったから 〜
こんにちは。Kunyです。
立ち上げた会社を2年で去ったのは31歳、秋のはじめ。
秋が深まる頃には、沖縄に飛んでいました。
向かったのは沖縄市のコザという場所にある島田さんのマンション。最上階でした。
ロペで苦境をともに乗り越えてきた仲間とふたり、沖縄での新生活が始まります。
実は、沖縄で仕事を始めたばかりの頃は仲間と二人だったんですよ。
4LDKという間取りは、僕たち二人の暮らすスペースと事務所には、ちょっと贅沢な間取りでした。
それぞれが寝る四畳半の畳の部屋が二つと、仕事場にする部屋一つと、リビング+畳間。
島田さんは仕事で東京にいたので代わりに島田さんの妹さんが鍵を預かっていて、マンションまで案内してくれました。
妹さんから鍵を受けとりマンションのドアを開けた僕たちは、部屋にはいって言葉をなくしました。
僕が会議室で書きとめていた「沖縄でいるものリスト」の中身がありました。
言葉にならない。トリハダ。
ボーッと突っ立っている僕に、妹さんが
「兄からの指示です」
とニコニコ笑いながら言いました。
冷蔵庫がある。
食器もひと揃いある。
スプーンもフォークも、箸もある。
布団も、洗濯機も、洗剤も、シャンプーも、リンスも。
僕が「沖縄で絶対に必要なもの」の分類「○」に書き連ねていたものが全部、そこにはありました。
よく見たら冷蔵庫は中古で、食器類は結婚式の引き出物らしき未使用の箱にはいったもの。
全部が新品でなく、そして新しい・古いに関係なく、すぐに生活が始められる準備がととのってたんです。
「○リスト」には書いていなかった醤油などの調味料も、塩コショウまでありました。
お米も5キロ、台所に用意されていました。
沖縄に着いて、真っ先に買い物にいかなくてもいいように。
新しい土地での生活が、とどこおりなくスタートできるように。
あのとき会議室で、島田さんがサラッと言ったんだ。
「さっきのリストさ、面白いから僕にもコピーくれない?」
僕は島田さんの思惑など知らず、いいですよ、と何も考えずにコピーを渡した・・・
「兄からこれ揃えといてねって、リストもらってたんです」
と、島田さんの妹さんが笑って言いました。
すげぇ。島田さん。
「やっぱり敷金1ヶ月分もらっといていい?」
と、島田さんに言われたのは、このためだったのか。
あのお金で、必要なものを前日までにすべて用意してくれたんだ。
今思い出してもトリハダが立つ。
この、言葉にならない感覚。
島田さんも、妹さんも、ちっとも恩着せがましくなくて、さりげなくて、
沖縄ってこんなにあったかいんだ。
沖縄の人にこのエピソードを話すと
「ああ、ウチナンチュ(沖縄の人)ってそうだよね〜」
と、こともなげに言う。
ありきたりな言い方しかできないけど、あったかい。
ようこそ沖縄へ!と心の底からあったかく出迎えられた気がしました。
WELCOME!俺!
涙(なだ)そうそう*でした。
*沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味
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