僕が沖縄に来た理由⑩ 〜 沖縄が大好きだから 〜
こんにちは。Kunyです。
31歳の秋、11月14日に沖縄に着いて、11月22日に今の会社を登記しました。
さーて、いよいよ僕の沖縄ライフがスタート!
ライオンズマンションの最上階、4LDK。自宅兼事務所。
気心知れた仲間と二人の共同生活です。
いちばん奥の部屋を事務所として使うことにしました。
新しい土地で起業するとなると、まずは人脈づくりからですよね。
経営者との集まりに出かける僕。
しかし言葉がわからない。
うちなーぐち(沖縄弁)難しすぎ。何言ってんか全然わからない。
お酒が入ってくると場はますますカオス。
たまにベテランぽい経営者の男性が泡盛を片手に
「話わかるかー?」
って、声をかけてくれます。
「いえ、さっぱりわかんないでーす!」
「そうかー、これでも気を使ってんだけどねー!」
ガハハと笑って、それから二、三言は標準語に寄せてくれ・・・たかと思うと速攻で沖縄弁に戻ってる。
さっぱりわかんねえ!
僕の沖縄起業人生が本格的に始まりました。
前回のブログでようやく、沖縄に来た理由というかいきさつが明かされましたねぇ。
「僕が沖縄に来た理由」シリーズもやっと終わったなやれやれと思ったそこのあなた。
もう1個、エピソードがあったわ。
さっき思い出したんだわ・・・「沖縄を選んだ」理由。
ロペの兄弟会社をつくって沖縄に行くようになるよりずっと前で。
それも社会人になる前ね。
アメリカの大学に通っていた21歳の夏のことです。
大学が夏休みにはいったので、日本に一時帰国してそのまま沖縄に行って1ヶ月暮らしたことがあったんです。
そのころつきあっていた彼女が沖縄に住んでいたから。
なんで彼女が沖縄にいたのかって?
それはね、高校んときの修学旅行で俺が沖縄に初めて行ったときのバスガイドさんでさ・・・
ってこれは今はいいや。
大学の夏休みに、アメリカから里帰りした僕は東京の実家をスキップして成田空港から羽田へ、そのまま那覇に飛びました。
東京の親には内緒です。
実は両親にはアメリカからの帰省日をずらして伝えて、空港に迎えに行くよと親切に言ってくれた弟にはゴニョゴニョ言ってごまかしてたんです。
ほら、帰省日の日程をずらして知らせておいて、突然帰ってきて驚かすよ〜?のていで。
サプラーイズ! ただいま!みたいな。
バカですね。
それで、家族に嘘ついて彼女の暮らす沖縄へ。
めちゃくちゃ楽しくて、夏休みはあっという間にすぎていきました。
飲んだり遊んだり泳いだり、夏の沖縄を満喫しまくり。
現地で知りあった沖縄の人たちともすっかり仲良くなって、お気に入りの居酒屋もできて。
仲良くなった人たちの行きつけの居酒屋にもよく行っていました。
その居酒屋は、地元の若者も、オジイも、年齢さまざまな人たちがつどういい感じの雰囲気の空間でした。
その居酒屋には、入り口から入ったところすぐに、カラオケができる個室がありました。
僕らはその個室で飲んでいて、トイレに行こうとしてカウンターの横を通り過ぎました。
カウンターには味のあるオジイが飲んでいて、通り過ぎるとき、僕らの個室のドアがパッと開きました。
個室からカラオケで沖縄民謡を歌っている僕らの仲間、20代の若者の歌声が流れてきたんですね。
カウンターを通りすぎようとしていた僕のそばで、オジイがふと、
「やっぱり民謡はいいよなぁ〜」
そう言って、しみじみ嬉しそうにつぶやくのが聞こえました。
僕はハッとしました。
沖縄のオジイがいった言葉に、
沖縄の人たちがめちゃくちゃうらやましくなったんです。
たとえば、秋田。福岡。沖縄。
それぞれの地域や地方には、その土地の言葉やオリジナルの文化がある。
福岡弁もしゃべれるし、標準語の日本語もしゃべれる。
でも僕は東京だから、国の言葉が一個しかない。
日本なんだけど、日本とはちょっと違う。
それぞれの地がオリジナルの言葉や文化も持っていて、それはまるで、もう一つの故郷を持っているみたいに感じて、めちゃくちゃうらやましいなって思ったんです。
うらやましいというか、何より素晴らしいことだなと。
民謡はいいなぁ、って笑うオジイ。
生まれるよりずっと昔の沖縄民謡を普通にカラオケで歌う若者。
沖縄って、素晴らしいな。
それが、沖縄を好きになった一番のきっかけかな。
その土地の文化を、気負わず継承されている場所、沖縄。
沖縄民謡を歌いつがねばならない、との思いではなくて、沖縄民謡がただ好きだから歌う。
沖縄って、すごいな。
21歳の僕が受けたインパクトが大きくて、今でも忘れられない、それでいてささやかな光景の一つ。
まあ、さっきまで忘れてたけどね。
沖縄って、すごいな。
沖縄が一番大好きな理由は、そんなとこです。
ご静聴ありがとうございました!