軌道修正デススメ④ みんなと同じ道は通りたくない
どうも、Kunyです。
無事に語学学校も卒業して、アメリカ留学に行く準備が進んでいました。
アメリカに発つ前、僕にパソコンをくれた坂本さんからパーティに誘われて、親父と二人でホテルのパーティ会場に行きました。
その頃、坂本さんの会社は創業7年目を迎えていました。
社員も増え会社も大きくなっていて、周年のパーティがホテルで開催されたんですね。
親父と一緒に坂本さんのところへ行き、今度留学してコンピューターを学びに行くんです、と伝えると坂本さんは嬉しそうにしていました。
そして、僕の親父に
「息子さんなら、帰国したら喜んで受け入れますよ!」
と、笑顔で言ってくれました。
嬉しかったです。
結局、坂本さんの会社には行かなかったんだけどね。
親父がパーティの後、僕に言いました。
気をつかって坂本さんのところに就職することはないぞ。
しがらみとか気にしていたら、世界が狭まるからな。
「自分のやりたいようにやんなさい」というわけです。
親父の感覚は、どこまでも開いています。
そんな親父と母親に見送られて、アメリカへ発ちました。

この荷物を持ってアメリカに旅立ちました
アメリカで合計5年間、大学生活を送りました。
行った大学は3つ。
3つ?
そう。大学でも軌道修正をしたんです。
その結果、3つの大学を渡り歩き5年かけて卒業したんですね。
日本で一年勉強したとはいえ、最初は英語レベルが低いからいきなりちゃんとした大学はキビシイ。
ということで、最初に行った大学は日本の英語学校の先生ペドロの紹介で行った1500人規模の小さな大学でした。

大学1年目
ペドロも僕の進む道にちょっと∠角度をつけてくれた先生です。
今までの自分を改めて、いいかげん勉強しようとここから猛勉強。
毎日、睡眠時間1時間くらいでよく頑張ったと自分でほめたいくらい勉強に打ち込みました。

大学の近くにあった唯一町のシンボル「世界一大きいバッファロー」
さっき「軌道修正」と書いたけど、実は2つ目の大学への編入は予定通りでもありました。
勉強してレベルが上がったらステップアップして、規模が大きく内容も充実した大学に編入する予定だったからです。
ちょうど弟が日本の大学に進学し、長男の僕の大学費用とダブルで家計を直撃していた頃。
両親の負担を考えて、なんとかお金を節約できないかな・・・、でもステップアップもしたいし・・・、ということで思いついたのが、サッカーの奨学金で大学費用を浮かすことでした。

強くていいチームでした。留学生は僕だけ。
サークルではなく本格的な部活として、サッカーで奨学金をもらっていた留学生は、僕以外に誰もいませんでした。
留学生で奨学金をもらえること自体がまれなこと。
だからこそ、チャレンジしたかった。
「みんなと同じことをやりたくない」という強い気持ちもありました。
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